摂食障害を克服するために、親の理解と協力ってそんなに必要⁈

摂食障害から回復するために、家族の協力は欠かせない…。確かに、そのような一面はありますし、大事なことではあります。 ご家族の方が、摂食障害に対して理解しようとする姿勢は必要です。

しかしながら、必ず必要か?と問えば、誤解を恐れずにいうならば、必ずしも必要ではないと思うのです。
なぜなはらば、実際問題として、親の理解と協力が十分に得られない場合があるかです。 そんな時には、どのように考えたらよいか?ということについて、今回は書いていきます。

先日、母親と秋の野山を散策してきました。 今では、こうして楽しいひと時を、母親と過ごせるようにもなりました。 けれども、摂食障害で苦しんでいた頃の私は、母親に対して殺したいほどの憎しみを抱えていました。実際に、包丁で殺しかけたことすらあります。修羅場のドン底期が、本当に長かったです。

今思い返せば、そのくらい摂食障害がつらかったんですよね。

私には、3つ歳下の妹がいます。彼女は摂食障害にはなりませんでした。私は、以前母親に、「私がこんなふうになったのは、あんたのせいだ!あやまれ!」って言いました。母親は、「私は妹のA子もおんなじように育てたのに、A子はあんたみたいにならなかった。だからあやまらん!」って言って、絶対にあやまりませんでした。 なんか、「なるほどな」「それもそうだよね」って思って、妙に納得しました。

なら、これってやっぱり私の問題⁉️って。

その時期から、当時は通院していたんだけど、母親と一緒には病院に行かなくなりました。 自分から、母親に「もう、病院にはついてこなくていい」って言ったんです。

そこから、私の回復は、本物になっていったと当時を振り返って思います。

いい意味での諦めがついた。つまり、親の理解を期待しなくなった、ということです。

今でも、母親は、私の摂食障害については、ほとんど全く理解していません。でも、それでいいんです。

親にも色んなタイプがありますよね。子供の病気に対しての関わり方も様々です。 私の母親は、私の摂食障害のことに関しては、逃げ腰でした。あくまでも娘の私の目から見て。

あ。でも、入院費などのお金は、全部出してくださいましたよ。と、一応フォロー❣️
過食代は、全部自分で仕事して稼ぎましたけど。

多分、私の母親って、病院代は出すけど過食代は絶対に出さない人。
私の母親って、摂食障害のことで話しかけても、おもむろに掃除とかし始めるような人でした。 「逃げんなよ‼️」って私が言って、いつも、ケンカになるパターンでした。
なんとか他の親御さん達みたいに、「親の会」などに行って学んでみてほしかったし、母親に対しても私なりにアプローチもしてみたんです。

摂食障害について書かれている本とかを、それとなくキッチンのテーブルの上に置いたりとかしてたなぁ。。。

でも、「あ〜。。。この人に理解を求めても無理だ」。そんな諦めがついた、というか自分でケジメをつけました。理解する気のない人に理解を求めてもムダだと。

確かに、摂食障害の回復の過程において、初期の段階から中期を経て、終わりの段階に至るまでには親の力を借りる時期は必要かもしれません。 かといって、ずーっと親の力が必要か?といえば、そうではないと思います。

摂食障害から回復するということは、親や社会の価値観から一度離れて、自分の価値観を見つめ直していく必要があるからです。

その時期には、親と正面切ってガチで対決することもあるでしょう。でも、それが回復に必要なプロセスだし、自立の道であり、親を超えていくために、避けては通れない大切な体験だと私は思っています。

私は、実際のところは、理解のある親が本当にうらやましかった。でも、今では、理解のない親だったからこそ、私は家族以外に救いを求めたのだと思います。理解のない親だったからこそ、自分で回復するための方法を探しました。

理解のある親、理解のない親、それぞれに親の想いはあります。理解してくれれば、それに越したことはないけれど、理解してくれないからといって回復できないわけではありません。

親に、理解や協力が期待できなくても大丈夫です。回復の道は必ずあります!

回復したいと本気で思うのであれば、自分の置かれた立場で、小さくてもいいから、たった一つのアクションを起こしてみましょう! そこから、あなたの回復は始まっていくのですから!

摂食障害を克服するために、親の理解と協力ってそんなに必要⁈”へ4件のコメント

  1. f86 より:

    お前も淑子さんもお互い苦労しよったの!
       親思う心に勝る親心
         けふのおとずれ何と聞くらむ
                吉田松陰  ばい

    1. 橋本 道子 より:

      おっちゃま!
      ありがとう💗

  2. しば より:

    現在、最悪の状況からは脱しています。でも標準体重には達しておらず、まだ痩せ過ぎだろうけれど、精神的に安定し、今の環境や人との関係にも感謝しており、周りの人にも優しくできる自分であり、再就職をめざしています。(現在50代、発症は中学生の頃、2年前に約3年の入院を経て、今は就労支援施設にいます。)
    でも、病院の先生はやはり体重を基準とされます。
    私自身も、これ以上痩せてはいけないとの気持ちは強いのですが、体型へのこだわりをなくすことはできないと思うし、私にとっては体型へのこだわりも込みでの幸せでもあります。

    この先も、症状がひどくならないように気をつけてながら摂食障害とうまく付き合っていく、という考え方では間違っているのでしょうか?

    1. 橋本 道子 より:

      しば様

      こんにちは!橋本です。
      コメント、ありがとうございます!

      現在は、最悪の状況から脱して、精神的にも安定して、再就職を目指しておられるのですね。
      周りの人にも感謝して、優しくできるなんて、とっても素晴らしいと思います!

      ご質問は、「この先も、症状がひどくならないように気をつけながら摂食障害とうまく付き合っていく、という考え方では間違っているのでしょうか?」
      という事ですね。

      私は、間違っていないと思います(*^^*)

      入院生活を経て今に至る間に、沢山の課題を乗り越えてこられたことと思います。
      今の課題は、就労支援施設にいながら再就職を目指しておられるということですね。

      ただ、病院の先生が体重を基準とされることについて、しば様は、違和感を感じておられるというだと思います。

      この事について、私の考えをお伝えしますね。

      今のしば様の回復の過程においては、標準体重という基準は、あまり意味を持たないと思います。
      病院の先生のお考えと、自分の考えの違いで悩む時に、基準にして頂きたいのは、しば様ご自身のお気持ちやお考えの方です。

      回復が進めば、自分にとって今何が大切か?という事も変わってきます。
      症状が最悪の時には、病院で援助してもらいお医者さんの言うとおりにすることが大事だったかもしれません。

      でも、今のしば様にとって大切なものは、病院に入院されていた時とは変化してきているはずですよね。
      しば様も「私自身も、これ以上痩せてはいけないとの気持ちは強いのですが、体型へのこだわりをなくすことはできないと思うし、私にとっては体型へのこだわりも込みでの幸せでもあります。」とちゃんとご自身のお考えをお持ちなのですから、そのお気持ちを大切にしながらご自身の幸せの基準を求めて欲しいな💗と思います。

      なにが幸せか?はお一人おひとり違いますのでね。

      ちなみに、私も50代です。しば様にはなんだか親近感を抱いてしまいます(*^^*)
      それから、私は自分の年齢と身長での標準体重を知りませんし、全く興味がありません。
      もし、標準体重を知ったとしても、そこまで体重を増やすつもりもないですし、なんなら、怖くて増やすなんてとんでもない!です(笑)

      つまり、私も、ある程度?というか、かなり!体型へのこだわりは持っています。
      ていうか、これが私の美学だ!くらいのこだわりかもしれないです・・・(#^.^#)
      それが私にとっての幸せの基準でもあるからです。

      ええ。

      摂食障害は、自立の問題でもあり、私がこの病気から学んだことは、主体的に生きるという事です。
      しば様、どうぞ、ご自身のお気持ちを誰よりも尊重なさって下さいね☆

      再就職できることを心よりお祈りいたしております。
      コメント、本当にありがとうございました。
      とっても嬉しかったです!

      橋本 道子

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